ぼくの願い事 4
「ねぇ、そのこと、もっといっしょうけんめいねがってごらんなさいよ。」
(しろいうさぎとくろいうさぎ)
次の日、第九に出勤したものの頭がぼんやりして仕事に身が入らなかった。
「はぁ………」
まったく、こんなことじゃいけないな……。
しっかりしなくては。
休憩時間にコーヒーを買って飲んでいたら珍しく薪さんがやってきた。
俺をちらっと見て、無言で缶コーヒーを買う。
ガラ、ゴトン。という音が休憩室に響いた。
「岡部が」
ふいに薪さんが口を開く
「岡部と曽我が心配してるぞ。青木が雪子さんに泣かされたんじゃないかって」
「はあ!?」
「そんな顔して出勤するからだろう」
うっ……。昨夜泣いてたことバレバレなのか……。
「雪子さんとケンカでもしたのか」
「してませんよ!っていうか、昨日本屋に寄ったの知ってるじゃないですか!なんで否定してくれないんですか!」
「その後の行動までは把握していない」
薪さんは悠然と少し離れた隣に座り、缶コーヒーを開けて一口飲む。
「あの後はまっすぐ帰りました!」
「じゃあ何に泣かされたんだ」
う。
俺はモゴモゴ、と言い訳をするように、小さな声で白状した。
「………え………絵本であの………な…泣けてきちゃって」
薪さんは珍しく本当にビックリしたような、子供のような顔つきになって、俺の顔を見た。
「絵本?お前絵本で泣いたのか?」
悪いですか………!?泣きましたよ!?
「………え、どっちで?」
若干、というかそうとうドン引きの薪さんから目線をそらして「100万回」のほうですよ。と思わず嘘をついた。
だってどう考えても、うさぎの話は泣くような話じゃない。
「へえ……」
また缶コーヒーを一口飲み、しばらく沈黙する。
「谷川俊太郎は」
…………は???誰??
「は…………??」
薪さんは眉をしかめて、俺を『信じられない』といったふうに見た。
「たにかわしゅんたろう、だ!知らないのか?」
「………??」ってか誰??!!
「詩人だ詩人!教科書にも載ってる日本を代表する詩人だぞ」
あーー………………
はいはい。はい。知ってます。聞いたことあります。
うん。なんかうっすらと。
「急に言われると繋がらなかったんですよ」
俺の言い訳をなかったことのように流して、続ける
「佐野洋子とは」
だから誰!?
俺の表情を読んだらしい。
「『100万回生きたねこ』の作者だ!お前自分が泣かされた本の作者くらい認識しておけ」
いやだから………なんでそんないつも唐突なんですか……。
世の中の人間が全員薪さんほど知識豊富で頭の回転が早いと思わないでくださいよ……。
「2人は一時夫婦だったわけだが」
え、そーなの!?
「離婚後のずっと後だが、谷川は100万回生きたねこ、は一夫一妻制の最も美しい物語だと語っている。」
へえ……。
「『とはいえ、現実は難しい』とも。」
………………え???
薪さんはニヤッと意地の悪い顔を作って俺の顔を覗き込んだ
「まあ、せいぜい頑張るんだな。」
ま………まきさ〜〜ん!
なぐさめてくれるのかと思ったら、なんですかそれ。俺を追い込まないでくださいよ……。
いや、そもそも雪子さんとケンカしてませんから!!
俺が頭を抱えたのを見て、薪さんはフッと笑った。
珍しい。指の隙間からそのままその横顏を見つめた。
そうだ。俺のみる薪さんは……
どこか、いつも凛々しい。
まっすぐで、強くて。
鈴木さんの見てた薪さんよりも、きりりとしているような気がする。
鈴木さんの見てた薪さんはとても綺麗だったけど--
俺の知る薪さんも、やっぱりとても綺麗だ。
違っていても、それでも。
「なんだ?」
「あ、いえ………」
薪さんは立ち上がって、空になった缶コーヒーを捨てた。
「じゃあ、な」
俺ははい、とかどうも、としどもど答えて、その後ろ姿を見送った。
いつもの、まっすぐな背中を。
その数ヶ月後。
俺の姉は帰らぬ人となりーー
第九が、薪さんが、そして俺が世界中を揺るがすような事件に巻き込まれていくなんて、この時は想像もしなかった。

(しろいうさぎとくろいうさぎ)
次の日、第九に出勤したものの頭がぼんやりして仕事に身が入らなかった。
「はぁ………」
まったく、こんなことじゃいけないな……。
しっかりしなくては。
休憩時間にコーヒーを買って飲んでいたら珍しく薪さんがやってきた。
俺をちらっと見て、無言で缶コーヒーを買う。
ガラ、ゴトン。という音が休憩室に響いた。
「岡部が」
ふいに薪さんが口を開く
「岡部と曽我が心配してるぞ。青木が雪子さんに泣かされたんじゃないかって」
「はあ!?」
「そんな顔して出勤するからだろう」
うっ……。昨夜泣いてたことバレバレなのか……。
「雪子さんとケンカでもしたのか」
「してませんよ!っていうか、昨日本屋に寄ったの知ってるじゃないですか!なんで否定してくれないんですか!」
「その後の行動までは把握していない」
薪さんは悠然と少し離れた隣に座り、缶コーヒーを開けて一口飲む。
「あの後はまっすぐ帰りました!」
「じゃあ何に泣かされたんだ」
う。
俺はモゴモゴ、と言い訳をするように、小さな声で白状した。
「………え………絵本であの………な…泣けてきちゃって」
薪さんは珍しく本当にビックリしたような、子供のような顔つきになって、俺の顔を見た。
「絵本?お前絵本で泣いたのか?」
悪いですか………!?泣きましたよ!?
「………え、どっちで?」
若干、というかそうとうドン引きの薪さんから目線をそらして「100万回」のほうですよ。と思わず嘘をついた。
だってどう考えても、うさぎの話は泣くような話じゃない。
「へえ……」
また缶コーヒーを一口飲み、しばらく沈黙する。
「谷川俊太郎は」
…………は???誰??
「は…………??」
薪さんは眉をしかめて、俺を『信じられない』といったふうに見た。
「たにかわしゅんたろう、だ!知らないのか?」
「………??」ってか誰??!!
「詩人だ詩人!教科書にも載ってる日本を代表する詩人だぞ」
あーー………………
はいはい。はい。知ってます。聞いたことあります。
うん。なんかうっすらと。
「急に言われると繋がらなかったんですよ」
俺の言い訳をなかったことのように流して、続ける
「佐野洋子とは」
だから誰!?
俺の表情を読んだらしい。
「『100万回生きたねこ』の作者だ!お前自分が泣かされた本の作者くらい認識しておけ」
いやだから………なんでそんないつも唐突なんですか……。
世の中の人間が全員薪さんほど知識豊富で頭の回転が早いと思わないでくださいよ……。
「2人は一時夫婦だったわけだが」
え、そーなの!?
「離婚後のずっと後だが、谷川は100万回生きたねこ、は一夫一妻制の最も美しい物語だと語っている。」
へえ……。
「『とはいえ、現実は難しい』とも。」
………………え???
薪さんはニヤッと意地の悪い顔を作って俺の顔を覗き込んだ
「まあ、せいぜい頑張るんだな。」
ま………まきさ〜〜ん!
なぐさめてくれるのかと思ったら、なんですかそれ。俺を追い込まないでくださいよ……。
いや、そもそも雪子さんとケンカしてませんから!!
俺が頭を抱えたのを見て、薪さんはフッと笑った。
珍しい。指の隙間からそのままその横顏を見つめた。
そうだ。俺のみる薪さんは……
どこか、いつも凛々しい。
まっすぐで、強くて。
鈴木さんの見てた薪さんよりも、きりりとしているような気がする。
鈴木さんの見てた薪さんはとても綺麗だったけど--
俺の知る薪さんも、やっぱりとても綺麗だ。
違っていても、それでも。
「なんだ?」
「あ、いえ………」
薪さんは立ち上がって、空になった缶コーヒーを捨てた。
「じゃあ、な」
俺ははい、とかどうも、としどもど答えて、その後ろ姿を見送った。
いつもの、まっすぐな背中を。
その数ヶ月後。
俺の姉は帰らぬ人となりーー
第九が、薪さんが、そして俺が世界中を揺るがすような事件に巻き込まれていくなんて、この時は想像もしなかった。

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